生きるということ
こんちわ〜す
久々すぎるブログの更新w
ということで今日はまじで難しすぎるタイトル書いちゃいます笑笑
生きるってどういうこと?
一度はみんな考えるはず。
まあこんなのなかなか答えなんて出てこない。
それが普通やね。
でも、たまたまあるミュージシャンが言ってたことがそのまま正解だと感じたので文字起こし。
生きるとは、、、
不完全を愛する
一言で言うときっとそうだろう。
もっと掘り下げるとそれは地上における魂の修行!
これを言われた瞬間に受け入れたくないけどやっぱり生きる意味であり人類の目的なのだと、、、
そしてこの聖書箇所を握りしめて行きたいと想った。
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。」
コリント人への第一の手紙 13:4-5, 7-10 JA1955
http://bible.com/81/1co.13.4-5,7-10.ja1955
以下、Tokinopodさんが言っていたことがそのまま当てはまったり言いたいことだったりしたのでそのまま引用!笑
愛は不完全なところに生じるもの。
人は明日死ぬかもしれない。
でも人生は長いからこそ儚い。
たくさんそういうせめぎ合いの中で、言葉じゃ言い表せないけど、心がグッてなって、生きてると思う。
でもそん時がどんだけブサイクでも、泥まみれでも、不器用でも、でもそれが人が生きてる、不完全を愛する。完全じゃ無くて不完全を愛する。
それが生きるってことなのかなって一つ思えてきた。
私は勉強はできる方じゃなかった。
外でスポーツしてる方が好きだった。
算数が特に嫌いだった。
けど、大人になるにつれて、なんかずる賢い小手先の計算だけ覚えちゃってね。
そうやって生きてきた結果、それが結局遠回りだった。
その遠回りだったことを受け入れられず意地、誇示自分はプライドでガチガチ。
そのガチガチの心を愛を持って誠心誠意真っ二つに割ってくれる大人たちがいっぱいいた。
愛情を持って生きてくれる。
愛ってなんだろうな?つって。
私はその時愛は痛い。愛は苦しい。愛は重たい。そういうのが一番最初に衝撃できたかもしれない。
でもそれって当たり前やったわ。
その時の自分にとっては。
愛って決して暖かいだけじゃない優しいだけじゃない、
愛は時に痛い苦しい重い。
そりゃあそうだよね。
人間生きてるから。
1人の人間がこの一生を生きてく中でどれだけの日々、
どれだけの人命にふれて、どれだけのことを考えて、
どれだけのことを喋ってどれだけの文字を書いて、
何日も何日も電車に揺られて、私はとりあえずどうしたらいいのかわかんないけど、
とりあえず日払い派遣やって、どこに向かえばいいかわかんないけどとりあえず夜中外出歩いて、いろんな奴がいるよ。
でもそのいろんな奴がいるのが今。
その今伝え合うことは楽なことじゃない。
けど楽なことやって目先の金や自分の地位や名誉、それを手に入れる。
それが未来何を作るか?
そんなのを作ってもって思ってきたんだよやっと。
なりたくないって思ったんだよ。
時間やお金を超えたそこにある、それが私にとっての人生の本当の価値かなって。
疲れるよ生きてりゃさ。
でもその疲れってのいきてるしょうこ。
苦しいのも生きてる証拠、
前が見えないのはこれから新しい季節、新しい香り、新しい温度、新しい重さ、
新しい人生の形、新しい人生の価値を見つける。
そのための時間なのだと 。
だから、焦る必要もないの。
でも、急げ。焦らなくていいから急げ。
それは間違いない。
私はもう人生を無駄にはできない。
この命は有限だ。いつか終わりは来る。
それだけはみんなわかってるはずだ。
有限であることに無限の可能性が隠されてる。
きめるな自分で天井を。
By Tokinopodさん
ありがとう。