自身の勝手な宗教観
わたしは生まれた頃から親が仏教に信仰のある家庭だった。
だから、そういうものに触れるのも当たり前だったしもう習慣のようなものだった。
そのせいもあって宗教に対する偏見は一切ない。
ただ、この教え以外は正しくないというようなことも教わってた。
だけどずっとずっとそれが引っかかってたしそれらのことが一切正しくないなんてことない気がしてた。
ちゃんと中身も見ずにそういうことも言いたくない自分がいて、他の宗教に否定的にはならなかった。
そんな訳もあってこれだけが正しいっていう考え方が嫌いになりやがて消えた。
そんな時にわたしは渋谷のストリートライブを通じて教会に出会った。
こんな感じでわたしのイメージしていた教会らしさのかけらもないようなところだった。
見たときは衝撃的で開いた口が塞がらない状態笑笑
ここで初めて聖書を手に取って読んで見た。
内容がようわからん、読みにくい、というのがわたしの感想。
でも、ある箇所で励まされる箇所がありそこから聖書が好きになった。
自分自身の内側が本当に変われた。
だから、神様を信じる決断をしたんだ。
そして、歴史が好きだったわたしはイエスキリストについて色々調べてみた。
したら、歴史のいうのはたくさん塗り替えられているという真実を知り神様は本当にイエスキリストだけなの?という疑問を持った。
わたしの中でそれをずっとずっとその疑問を排除しようとしてみたけど自分の考えに勝てなかった。
キリスト教的にいうとこれは悪魔の攻撃なのかもしれない。
けどもうずっとずっと頭の中で引っかかっていたことがわたしの中の答えだった。
何が正しいとかそういうのはその人の主観が決めるもの。
だから頑なにこれこそが正しい!!というのをしない。というか人に押し付けない。
多様な価値観を認める。
これがわたしの中の答え。
だから、宗教って1人1つあっていいのかなとわたしは思う。
そしてわたしの中の神様は言葉です。
言葉こそわたしの中の幸せを見出すチカラ。
言葉に感じるパワーの影響がすごい大きいのです。
だから聖書の言葉に影響を受けたし心の内側を変えられた。
でも頑ななイエスキリストに対する否定はないです。
むしろ素晴らしい神様です。
さっきと言ってること違くない?て思うかもね。
そもそも神様って何?という疑問を持って考えた時にその答えは出た。
自身が人生でつまずかないための杖となり支えとなる考え方のことなのかななんて。
これはあくまでわたしの答えだけど。
てかもー書きたいことありすぎてまとまらん笑笑
要は宗教って1人1つあっていい
信じたその人が幸せを見いだせること
愛や感謝がベースになってみんながハッピーになれること
これがわたしの宗教観。
何が正しいとかその人自身が決めるもの。
というわけで勝手なわたしの意見でした〜笑笑
長くなってすみません笑笑